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2021.07.30

4. 就職~設計事務所,ハウスメーカー時代

  • プロフィール

〈平成8年〉
 そうこうしているうちに、就職の時期が。そのころ、補償設計のアルバイトをやっていて、そちらの方の紹介で、小さな設計事務所に就職。
堺東にある 生活建築工房という設計事務所。実務レベルではほとんど使い物にはならなかったと思うが、一生懸命働くというよりは勉強させていただく。ここでの経験も今の自分のスキルにつながっているところが大きくあると思う。所長さんには、本当に感謝しています。

設計事務所時代の住まいは、その当時仕事でお世話になっていた工務店さんの事務所の2階。事務所の2階といっても、きちんとした賃貸マンションで、お金はありませんでしたが、2DKの裕福な住まい。今まで寮生活がメインだったこともあり、一人暮らしの楽しさは存分に味わえました。

〈平成10年〉

最初の設計事務所時代も、終わりそこからいろんな設計事務所をまわることに。求人を探すのは、主にはよくある新聞の広告欄。とにかく働かないと生活ができないために、なんとか探し、転々とする。何のために自分はあるのか、深く考えた記憶がある。
大阪で何年か働き、そのころの住まいは文化住宅。自力で生活したい、一からやり直したい、そんな決意があったように思う。風呂も便所も部屋にはなく、その代わり15000円/月と安かった。4畳半1室の生活。生活費は切り詰めた。夏はダニが多く、朝起きると体中がえらいことになっていたことも。また、仕切りが薄いためか、声やTVの音が筒抜けで、酔っ払って帰ってTVをつけたまま寝ていると、隣のおばさんが怒鳴り込んできて起こされたことも、今となっては良い経験かと。
どんな住まいでも、愛着を持って住めば都となることを実感。

〈平成11年〉

そろそろ、建築も自分には向いていなかったか、と思い始め。ちょうどそんなときに、親戚の方から、和歌山のハウスメーカーの現場監督の空きがあるが、どうだろうか、という連絡をいただき、一般の建築はあきらめるつもりで、快諾する。
ダイワハウス工業和歌山支店時代。今までの貧困からは一時免れた時代。今まで、自分が何のために存在するのか問うてきた中、ハウスメーカーでの仕事はある意味幸せでした。会社から仕事が与えらえ、それをそつなくこなせばよい。難しい現場や、施主様もおられたが、現場の基本は学ばせていただきました。


ハウスメーカー時代の住まいは、まずは入寮。大学時代の寮生活が大好きだったこともあり、入寮時は本当に嬉しかった。共同の大浴室、便所で、食堂があり毎朝夕は管理人さんがご飯まで作ってくれた大満足な住まい。その後、紀南(和歌山の南)エリア担当になり、田辺市で、ワンルームマンションを借り、会社には行かず現場とマンションの行き来の毎日に。不満はなかったけれど、どーもワンルームマンションというのは、つながりがなく結構味気ないものでした。

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