3. 大学時代
〈平成4年〉
関西大学工学部建築学科 入学。
憧れの建築学科入学。すべてがカルチャーショック。学校もそうでしたが、それ以前に、寮。寮がすごかった。『関西大学北斗寮』入寮。オリエンテーションから、社会の厳しさに触れる。今はもうないのが残念ですが、本当に厳しい寮でした。部屋は4人部屋。当然1回生から4回生の4人。当然、1回生の仕事はいろいろ。でも、2回生、3回生、4回生になるにつれても、それなりの仕事があり。結局、4年間この寮でお世話になることになる。
集まって住むことのむずかしさ、あるいは楽しさを存分に経験することができました。
建築学科の授業も、比較的まじめにできたのでは、と思う。そこまでデザインに対して勉強することはありませんでしたが、幅広い知識を得ることはできました。
寮の3階廊下踊り場には、常時洗濯物が干してある状態でしたが、その一角を自分の製図スペースに。
アルバイトも、ありとあらゆるアルバイトを経験。北新地のバーテンから、ゴルフのキャディー、家庭教師、甲子園の7回裏の風船飛ばされた後のグラウンドの清掃まで。いろんなバイトを経験。なかなか一つに固定されなかったのは、休みになるとバイクで日本全国、海外までツーリングに駆け回りたかったため。
バイクでは、本当に日本全国走り回った。沖縄以外は全県。高速道路は使うことはなかった。そのプロセスが大切だと感じていたから。特に多かったのは、北海道。北海道の美瑛町で初めて大根堀の仕事。これ以降、住み込みで美瑛町の農家に毎シーズン行くことに。夏はツーリング、冬はスキーに。
〈平成6年〉
海外ツーリングは、オーストラリアへ。ほぼ2か月。現地でバイクを購入し、現地で売って帰ってくるというスケジュール。事前に何人か現地の方を紹介していただきましたが、基本ひとり旅。何度か危ないことになったものの、無事帰還。